障害者の権利を守るアメリカ社会とその法律
U.S. Society and Laws Protect the Rights of Persons with Disabilities
Peter Blank
P5 - 8
大学の教授であるPeter Blank氏は、シラキュース大学Burton Blatt研究所の所長である。彼はADA法の草案作成及び法案通過決議の過程に携わり、アメリカ議会で法案の重要性を証言し、また最高裁でADA法関連の裁判事例について抗弁してきた。彼はこのテーマについて沢山の執筆や講義を行ってきた。
アメリカにおいて、障害に関する理解、定義、態度は月日と共に変わりつつある。歴史的には、障害とは人々が「普通」の生活の妨げとなる欠陥として考えられてきた。これは身体的または知的な問題で、生まれたときから一生付き合っていかなくてはならないものもあれば、交通事故や病気などによって人生の途中で引き起こされるものもある。また人々の態度も、障害者を保護したいと考えたり、障害やその家族を恥ずかしい存在と考えたりと様々であった。多くの場合、障害者は家や施設に隔離され、一般社会とはほとんど交流を持たなかった。さらに、障害は一生続くもので、悪化の一途をたどるものとして考えられ、今日のように、適切な治療や便宜によって改善されるものとして扱われてこなかった。
アメリカにおいて、障害について早期の法律上の定義は市民戦争から帰還した沢山の負傷兵のために制定された。市民戦争年金法によると、障害者となった連合軍の退役軍人たちは「作業労働者としての労働が可能かどうか」を基準として年金の交付が決められていた。この制度は、障害を基本的に社会への平等な参加、すなわち自立した生活の営みを妨げる状態として定義するものであった。しかし、全ての障害が平等に扱われるわけではなく、知的障害、伝染病等に対しては、支援する価値がないものとして考えられ、これらの障害を持つ人々は差別の対象になった。
それから百年が経過し、1960年代になると、社会保障制度の対象を貧困層や、これらの障害を持つ人々にまで拡大することが求められた。しかし、これらのプログラムは、障害を持たない人々の社会へ、障害者が適応する能力に着目するという旧来の考え方に基づいてのものだった。この考え方の中では、一般社会に適応できない人々を差別し、人々が保障やサービスを受けるに値するかどうかの価値判断を依然として行い続けてきた。
態度の変化
Changing in Attitude
その数年後、1970年代になると、障害者は社会の中の少数派グループとして見られるようになった。つまり、社会の中で平等を訴える他の少数派グループと同様に障害者も市民権をもつグループとして保護されるべきだと考える動きが出てきた。そしてこれは、障害に対しての考え方、またインクルージョン(多様性を受け入れる社会)、権利付与、経済的自立といった考え方の基盤となった。
この新しい考え方の提唱者は、この障害者グループの権利を定めた新しい法律が必要だと考えた。そしてこの考え方は、障害者に、選挙へのアクセス、飛行機による移動、教育、住居を自己の選択において決める権利を保障する法律の条文の成立を後押しした。これらの権利の条文が集約されたものがADA法である。そして、このADA法は、これらの問題や各状況について議論するうえでの法的な言語となり、人々の障害に対する認識の変化を促した。
ADA法の到来により、人々は建造物が障害者にとってアクセス可能かどうかについて考え始めるようになっただけでなく、障害を持つ人々が他の人々と同様に生活の全ての側面において十分に参加できる方法についても考えるようになった。ADA法は学校、ビジネス、地域や公共施設に、また全ての政府機関に、そして健康や社会サービスといった幅広い分野において意識の変化をもたらした。
この新しい意識によって実践されたことの一つに、沢山の用語の変化がある。例えば、"a disabled person(障害者)"から、"a person with disability(障害を持つ人)と改められた。それから、「普通」という画一的な基準よりも、一人一人の異なった能力について議論されるようになった。さらに、学生の"learning disabilities(学習障害)"は、"learning difference(学び方の違い)"と呼ばれるようになった。同時に、障害の定義は、学習方法、情報処理方法の違い、身体的な制限、主要な生活の活動の妨げとなるその他のコンディションまで拡大された。法律の草案作成にはじまり、法案の可決に至るまで沢山の人々が何年もの時間を費やした。ADA法の序文では、障害者の「機会均等、社会への完全参加、自立した生活、経済的自立」を国家目標として定めている。ジョージ H. W. ブッシュ元大統領が、1990年7月に同法に調印したとき、彼はこの法律を「アメリカ人であることの恩恵は、他者の権利を保障することによって得られる。従って、この法律は障害を持つ人びとだけでなく、アメリカ国民全員にとって画期的で革新的なものだ。」と言っている。
この法律の原文は、タイトルと呼ばれる項目に分かれている。それぞれのタイトルには番号が振られ、それぞれ特定の問題や対象者、またグループにおける保護や権利について述べている。
職場に適応されるADA法
The ADA at Work
ADA法タイトルIはほとんどの民間の雇用者に対して、障害を持つ人への雇用上の差別を禁じたものである。タイトルIIは州のサービス及び地域の役所における差別を扱っている。タイトルIIIは、ホテル、レストラン、ショッピングセンター等、公衆のための宿泊その他の施設の利用についての差別を取り扱う。そしてタイトルIVでは、通信設備の提供者に、障害を持つ人が利用できるサービスの提供を義務付けている。私は幸運にも、権利運動の最前線に活躍する人々と共に、擁護活動を行ってきた。ここに、社会への公平な参加に向けて積極的に活動した人々についてのストーリーをご紹介したい。
私は1999年、ヴィスコンシンのとある収容施設の作業所でDon P.氏と彼の家族と面会した。その作業所は、身体、知的障害を持つ人達が、仕事のスキルを身につけ、経験を積むための助けとなる素晴らしい環境を提供していた。Don氏は知的障害をもった50代前半の人物で、彼はレストランの掃除夫として働いていた。彼の仕事は素晴らしく、同僚は彼と一緒に働くのを楽しんでいた。ある日、広域のマネージャーがそのレストランを訪れ、Donが働いているのを見て、地域の監督に「この種の人間(知的障害をもつ人達)」を雇っていることを批判し、Donを解雇するよう求めた。地域の監督が彼の解雇を拒否すると、そのマネージャーはレストランに再び引き返し、直接Donを解雇した。これに対する抗議として、地域の監督と他のスタッフ達は辞職した。ADA法タイトルIに基づく審判で、被告側は、Donがその仕事の要求水準を満たしておらず、会社は彼を差別したわけではないと主張した。私はそこで、Donのような人が雇用の場において経験している偏見について証言した。Donの仕事には、何の落ち度があったわけでもなく、これはむしろ雇用者側の過ちだった。陪審は、レストラン側がADA法を犯したとし、Donに損害補償に加えて7万ドルの支払いを命じた。そして、障害に対する差別が今後あってはならないことを知らしめるため、陪審はさらに1,300万ドルの損害賠償を命じた。これはADA法による判決のうち、過去最高の賠償金額だった。
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ADA法タイトルIIでは、州のサービスと、地域の役所は、障害を持つ人達が利用可能なものであることを義務付けている。このタイトルIIの重要な主旨の一つは、人々が同じ場所で、プログラムを利用する権利を保障することである。1999年、Olmstead VS Zimringの事例で最高裁判所は、誰でもアクセスできる環境の構築は絶対条件であるという認識を示した。2人の知的障害をもつ女性が、彼女達は公共の場ではなく収容施設でしかサービスを利用できないとジョージア州を提訴した。州の専門家達は、彼女が施設を出て、家族や住居を離れ、地域での治療をするのは適切であると判断したものの、彼女が利用できるサービスがなかった。裁判所では、ADA法においてこれは差別にあたるとし、州が、彼女が必要とするサービスを地域で受けられる環境を提供するよう命じた。
1990年代初期、多くの人々と同様、私もまた州の障害を持つ人向けの施設の状態を改善し、彼らが施設ではなく、可能な限り地域生活を営む機会を提供するよう法廷で訴えてきた。私は1991年、Sara K.氏と面会した。彼女は当時、ワイオミング州トレーニングスクールのヘルスケア施設内で生活していた。Saraは若いころの人生のほとんど、そのトレーニングスクールの病院施設で過ごしてきた。彼女は賢く、明るい目をした10歳の少女で、またspina bifida(二分脊椎症)と、他にも深刻な健康状態を抱えていた。この事例の判決で、Saraは施設を出て、地域社会で生活する第一人者のうちの一人となった。もちろん、Saraの両親は心配したが、病院を出て、家で生活することに賛成した。彼女のその後の驚くべきストーリーをご紹介したい。
Saraは自宅での生活に慣れ、通常学級に通った。たった数年前まで彼女はワイオミングの自宅からはるか離れたトレーニングスクールの病院のベッドで過ごしていた。しかし、この環境の変化のおかげで、彼女は地域で家族やクラスメートと過ごし、明るい未来のため前進するといった、より普通の生活を送れるようになった。
2001年1月、彼女は亡くなった。15歳だった。私はワイオミングのコミュニティープログラムディレクター、Bob Clabby氏から手紙をもらった。その手紙にはこう書かれていた。「私達がこの地球上で過ごす時間の量よりも、生きている間に何をするかの方がずっと重要だと私は信じている。Saraはあなた、私、そして少なからぬ人々に希望を与えてくれたと信じている。」
将来の展望
The Future
障害を持つ人の権利の規範として、ADA法は成功している。実際、世界中の国々は、障害を持つ人の生活の改善に向けての政策の追求のため一つになりつつある。2006年の夏の障害を持つ人の権利についての国連会議で、世界中の障害を持つ人の人権に関する条約が取り決められた。アメリカにおいて、ADA法は差別を減らし、雇用者に職場においての便宜の提供を推進するのに役立ってきた。2004年、National Organization on Disability(全国障害協会)/Harrisの障害を持つアメリカ人の調査によると、過去四年間に、職場での差別を受けたという障害を持つ人からの報告は顕著に減少している。また、障害を持つ人を雇用し、便宜を提供することの経済的な利点が報告されている。
ADA法タイトルIIの、統合(役所等の公的施設を、誰にでも利用できるようにすること)の要請は、何千人もの人々に影響した。
2004年のTennessee VS Laneの事例だが、身体障害を持つGeorge Lane氏は、交通法違反で出廷していた。彼はエレベーターのない裁判所のビルで、聴聞に出席するために二度階段を這って上らなくてはならなかった。その後の聴聞で、彼は這うことを拒否した。そして、裁判所へアクセスする権利が冒涜されたと告訴した。その裁判で、最高裁は、タイトルIIによって、州に障害を持つ人が裁判所にアクセスする権利を差別することは禁じられていると伝えた。
ADA法タイトルIIIの内容はとても明確で、ショッピングセンター、専門家の事務所、ホテル等のビジネスで、障害を持つ人を差別してはならないという内容だ。障害を持つ人が利用可能な大衆向けの宿泊施設は増加している。現在問題になっているのは、インターネットのアクセシビリティーである。例えば、盲目の人々が利用できるように、スクリーンリーダー等のソフトウェアでウェブサイトを閲覧する環境を保障することだ。公的機関による一般の人々向けのウェブサイトは、アクセシビリティーについての一連の基準を満たしていなければならない。
私は、過去、現在、未来の、障害を持つアメリカ人と、彼らの市民権の追求について多く取り上げてきた。中には克服するのが大変難しいものもあり、人々は今も、障害に対する偏見と戦い続けている。それは、単にビジネスや政府によるものだけでなく、同僚や家族からのものもある。
私はMikeとSamという二人の少年の両親が親権を留保している間、共同顧問を務めた。Mikeは自閉症の診断を受けており、教育、社会生活上のニーズを満たすため、教室に通っていた。両親の離婚についての聴聞にて、父親は裁判所に、Mikeの自閉症はSamの発達上大きな負担となると述べ、Samの保護を求めた。裁判官は、その要求を受け入れ、子供達は別居することになった。裁判所のその決断は、自閉症の子供は、家庭に悪影響を及ぼすという根拠のない推測に基づくものだった。その裁判官は母親に育てる能力がないと言ったのではなく、兄弟当人の一緒に住むという権利を軽視していた。
私達は、その判決に控訴した。そしてカリフォルニア上級裁判所も私達の立場に同意した。MikeとSam兄弟が再び一緒に生活できるまでの一連の活動によって、私達は、障害を持つ人の人権に取り組む上で、障害を持つ人が身体の困難を克服するのと同じくらい、障害を持つ人に向けられた偏見と戦っていくことは重要であると再認識した。私はADA法の目標を達成することに前向きだ。これらの問題にどのようにわれわれが対応していくかで、障害を持つ、次世代の子供達の生活は作られていくのである。今までとは違い、子供達はADA法がない世界というのを今後知ることがないだろう。平等という考え方がない世の中というものを。
障害を持つ人達のアクセシビリティーの確保: 地域の取り組み
Securing Access for People with Disabilities: A Community Affair
Michael Jay Friedman
P9 - 10
アメリカ中の都市や町は、公共のエリアを全市民が利用できるようにするという挑戦に快く応じてきた。Michael Jay Friedman氏はアメリカ国務省国際情報プログラム事務局の記者である。
アメリカの地域コミュニティーは、国と協力しながら、ADA法によって保障された障害を持つ人達の権利を守るために取り組んでいる。ADA法タイトルIIでは、公共のサービス、プログラム、活動に、平等なアクセスを保障している。これは大変価値のあることだが、達成するためには非常に多くの公共の資源が必要である。例えば、一台のバスに車椅子用のリフトをつけ、その他必要な修正を行えば、40,000ドルかそれ以上の費用がかかると推定される。
それでも全国の自治体は、この試練に果敢に取り組み、そして乗り越えてきた。大都市から最小規模の町村まで、地方政府は「障害によって閉ざされたあらゆるドアを、我々は開けていくよう取り組んでいかなくてはならない。国民の尊厳と充分な権利の妨げとなる障壁は、純粋な思いやりと正義の名において除去していくよう取り組まねばならない。」というブッシュ大統領の障害者に対する2001年の約束を果たしてきた。
全ての人のためのミレニアムパーク
A Millennium Park for All
シカゴ市長、Richard M. Daley氏の掲げた目標は、全米第三位の規模を誇るシカゴを、規模だけでなく、街のアクセシビリティーにおいても全米に誇れるものにすることだ。街が、鉄道と駐車場で荒廃した場所を、娯楽展示場に変えようと決定した時、Daleyは建築家の、Edward K. Uhlir氏に依頼した。そして彼はこの依頼に応えるべく、障害の有無にかかわらず全ての住人や観光客が楽しめる世界規模の公園を設計した。そして2004年にオープンしたこの「ミレニアムパーク」は障害をもつ来訪者がアトラクションを完全に楽しめるように、沢山の設備を導入した。この公園の中心に位置する噴水のある浅い池はアクセシビリティを配慮している。高いところにあるアトラクションには、ジグザグのスロープが備えられ、車椅子でも180度方向転換変をしてアクセスできる。主要な芝生エリアは、上部を固定した網で強化されている。地面を硬く固定したその網によって、車椅子でも簡単に移動することができる。
Paralyzed Veterans of America organization(肢体麻痺のアメリカ退役軍人団体)は、Uhlir氏に、バリアーフリーアメリカ賞を授与した。その団体の会長は、「単に遭遇している毎日の困難に不満を言うだけでなく、これらの困難に対しての具体的解決策を提供するための努力がより大切であるという考え方の手本を提供してくれた」と謝辞を述べた。
これまで受賞してきた取り組み
Award-Winning Efforts
2001年初め、民間団体であるNational Organization on Disability(全国障害団体)は、コミュニティーに誰もが平等に参加できる機会の実現に向けて、勢力的に取り組んだ自治体にAccessible America prize(アクセシブルアメリカ賞)を授与した。受賞者達は教育、投票、交通、住宅、宗教の礼拝、社会、レクリエーション、文化、そしてスポーツと幅広い分野において、アクセス向上を積極的に実践してきた。
2004年に受賞者した、Pasadena(カリフォルニア州)は、Roses パレード及びRose Bowlフットボールゲーム、ニューイヤーズデイトーナメントの開催場所としてよく知られている。あまり知られていないことだが、車椅子でのアクセスが可能なパレード観覧エリアが三つある。それは障害者とそのゲストのために確保されており、そこでは視覚障害者に大会の日程や内容についての音声サービス、聴覚障害者には手話サービスが提供されている。
障害を持つ人々全てに、パレード直後に行われる山車を見るための特別な時間が与えられる。Pasadenaでは、障害を持つ住人のニーズに応えるため精力的に取り組んできた。1927年に建てられた中央図書館では、建物の雰囲気にマッチした車椅子のリフト、車椅子での利用が可能なコンピューターコーナー、そしてエレベーターが備え付けられている。そこでは毎年職業会議が開かれ、障害を持つ高校生や他の専門家達の人脈作りや、職業の選択肢、自己擁護、また職場での合理的な便宜の求め方について等の話し合いが行われている。街のたくさんの書類は、視覚障害を持つ人達が利用できるよう点字でも発行されている。この街で、障害を持つ人達をコミュニティー生活へ統合していこうとするの取り組みは、「力強く、長期的だ」とBill Bogaard市長は言う。Pasadenaは、「多様性を祝福し、あらゆる生活に対応する街のあり方を追求している。そしてこれは、健常者、障害を持つ人達、またその家族や友人の献身的な努力によって支えられている。」と市長は続けた。
大小のコミュニティー
Communities Large and Small
大都市も、田舎の小さなコミュニティーもADA法の水準を満たし、それ以上のものを提供しようとどこも一生懸命取り組んでいる。全国九番目の大都市、テキサス州Sun Antonioでは、商業区域にある、Sun Antonio川の両側に延びる、丸石や、板石が敷き詰められたリバーウォークという沿道が有名である。今日では、この名所に車椅子でのアクセスを可能にしようと三つのスロープ、四つのエレベーター、それから橋が掛けられた。また、近隣のホテル、その他の商業施設からもこの名所へのアクセスを可能にしようという取り組みがなされている。「アクセスは大きく改善し、移動が以前よりずっと容易になった。これは大きな変化だ。」Sun Antonio市民は言う。
一方、ウェストバージニアの片田舎、Summers郡では、障害を持つ市民に裁判所へのアクセスと利用を保障するための取り組みがなされた。駐車場は、アクセシビリティに配慮され、車椅子でも利用できるスロープが備えられている。新しく整備された低めのサービスカウンターは、車椅子での利用が可能である。今では、法廷の陪審員、目撃者席へも車椅子のアクセスが可能になっている。建物内の標識は、点字、また聴覚に障害を持つ人のために音声補助装置が整備されている。ある障害者は、これらの改良がなされる前、自分で税金を納めに行くことは出来なかったと記憶している。車椅子で二階の会計サービスまで行くことができなかったのである。「ここでの変化にとても感激している。」
また全国でも同じような例を見ることができる。詳細は様々だが、障害を持つ人達の生活を改善しようという気持ちは同じだ。最終的には、この恩恵は他の人々にも共有されることになる。自転車に乗っている人、ベビーカーを押す親達もまた、歩道と車道の段差がなくなればありがたいと感じるし、エレベーターやスロープは老人にとっても有益になる。そして何よりも、障害を持つ近隣の人々を支援することは公共の利益となり、アメリカ人のコミュニティーをより強固なものにしていくことにつながっている。
障害を持つ人達の雇用: ビジネスにおける利点
Hiring People with Disabilities: Good for Business
Elizabeth Kelleher(アメリカ国務省国際情報局記者)
P12 - 13
企業は、障害を持つ人達の雇用はビジネスにおいて良い影響をもたらし、通常は思ったよりも安価で就労の便宜を提供することができることを知るようになった。
1998年、Sacha Kleinというベルギーの生徒がアメリカの大学で一学期間勉強した。そして彼は大学の4年生プログラムに進み、コンピューターサイエンスの学士号を取得し、後にヴァージニアに本社をおくBooz Allen Hamiltonというコンサルティングファームで夏のインターンシップを行い、そこで経営陣に気に入られ、彼は正社員として勤務することになった。いまや、Booz Allenの情報システムの構築を手掛ける傍ら、ビジネスの修士号取得に向けて勉強し、ゆくゆくは自身で事業を行いたいという夢を持っている。
彼には聴覚障害がある。
「ここはまさに機会均等の国です。」
Klain氏は、コンピューターのインスタントメッセンジャー上で言った。
「雇用者は人ができないことではなく、できることを評価してくれる。」
1973年リハビリテーション法で、政府機関に障害を持つ人達の雇用が義務付けられて以来、議会では、教育、交通、テクノロジー、住居へのアクセス改善に関する11の法案が可決された。そして1990年に制定された、ADA法は、Kleinのような人々がアメリカ経済に参加し、貢献するための門戸を開いた。
ADA法は、市民権に関する法律で、雇用者による差別を禁じた。そしてそれは、業務を遂行する能力がある障害を持つ人に便宜を提供することをビジネスに義務付けた。これは糖尿病の従業員が、仕事中、血糖値をチェックするために休憩を与えることであり、視覚障害を持つ人には、パソコンで業務を行うための専用のソフトウェアを提供することである。
職場での便宜に加え、ADA法は公共施設において、障害を持つ人達が買い物、映画館、公衆トイレ等を利用するにあたって建設上の障壁となるものを取り除いた。
専門家の中には、このような広範囲の建設上の改革によって、アメリカ合衆国は障害差別禁止法をもつ他の44の国々より一歩進んだ国になるという人々もいる。サントラスト銀行の副総裁と、障害を持つ人達雇用に積極的なビジネスグループの会長を兼任するKatherine McCary氏は、「ヨーロッパの経営者達は障害を持つ人達を雇いたい気持ちはあるが、彼らは職場に来ることが出きない」と彼女に打ち明けたと話した。
さらに、
「ADA法は、すべての人びとに建設物の内外へのアクセスを可能にしたという点で功績は大きい。」と言う。
労働党秘書助手であるRoy Gizzard氏は、ヨーロッパ連合諸国とベトナムの各国において建設物の障壁を取り除く解決策について最近セミナーを開催した。「車道と歩道との段差を取り除いたり、交通手段に誰もがアクセスできる環境をを整備したりすることで、人々は仕事に行くことができるようになる。」と言う。
Klein氏は物理的な障壁だけでなく、人々の態度も問題だと考えている。ここがアメリカでなくヨーロッパだったら、彼はホワイトカラーの専門職に就くことは不可能で、きっと工場での仕事を余儀なくされただろうと言う。
1990年代初期には、アメリカ企業が障害を持つ人達の雇用に積極的になることに希望をもった人々がいる一方で、ADA法の施行によって莫大な費用とコントロールできないほど沢山の訴訟が予測され、ビジネス界はパニックに陥った。連邦政府は職場での就労上の便宜についての電話相談サービスを設けたが、当サービスは、法律制定前にすでに年間3,000件、さらに1990年代半ばには年間40,000件にものぼる相談が寄せられた。
しかし、アメリカ労働省によると、その心配とは裏腹に、職場における就労上の便宜のうち費用が全くかからないものが半数を占め約半数は500ドルほどにすぎなかった。
「雇用者達の報告によれば、障害をもつ従業員は忠実かつ生産的で、便宜に要する500ドルの費用も長期的に見れば採算が合っている」とGrizzard氏は言う。
雇用問題に取り組む弁護士であるPeter Susser氏と、労働法律事務所のLitteler Mendelson氏によると、裁判所は「障害」について法律上明確な定義を設けているものの、依然として訴訟が絶えないと言う。ADA法施行以来、雇用機会均等推進委員会が同ADA法に基づいて扱う差別に関する告訴の件数は毎年平均16,000件にも上り、これは差別に関する全告訴数のおよそ5分の1を占める。しかし、政府によると、その中で訴えが通るケースは18%だという。
国立独立ビジネス連合のBeth Gaudio氏によると、今日の小規模ビジネスにとって、多くの負担は州法によるものである。連邦法では、便宜の義務付けは、15人以上の従業員を雇用している企業にのみ適応されるが、州法によっては、従業員二人の会社にも適応されることがある。「場合によっては、簿記や経営者の配偶者でさえも、従業員に対しての便宜ついて理解している必要がある」とGaudio氏は言う。
それから、法律の遵守が企業にとって果たして有益かという議論もある。これについて、マサチューセッツ大学の2006年1月の調査によると、87%の消費者は障害を持つ人達を雇用している企業を好むという。また、障害を持つ労働者が労働力不足を補うというメリットもある。今後8年間で三千六百万人のアメリカ人が退職し、職場を去っていく。国税局の報告では、2000年には、三千三百万人の労働年齢の障害を持つ人達のうち、半数近くが雇用されていなかったことが指摘されている。
国立障害センターの理事長で、前ペンシルバニア州議会議員のTom Ridge氏は「ADA法の制定は意味のあるスタートだ。しかし、それには決して終わりがない。」という。企業政策はADA法を順守しているが、雇用についてはもっと力を入れて取り組む必要があるとRidge氏は考える。
アメリカ労働省は、企業が障害について理解することを推進し、毎年、賞を授与している。また、DiversityIncという雑誌は、最近障害を持つ人達の働きやすい企業のトップテンを発表した。
32州で、五千の企業がUSビジネスリーダーシップネットワークを結成し、障害を持つ人達雇用を積極的に支援している。このネットワークを通じ、Booz Allen社はインターンシッププログラムを開始し、Sacha Klein氏を魅了した。また、同プログラムは2003年には数十の企業によって採用されるまで拡大し、さらに2006年には、ワシントン、ニューヨーク州以外の地域にもこのインターンシップが採用されるまでに至った。
Cincinnati子供病院では、サントラスト銀行の申し出を受け、発達障害を持つ学生たちのために最近一年間の職業教育プログラムを行うことを決定した。国内の薬局チェーンであるCVSコーポレーションの執行役員は、2006年10月に労働省のRay Grizzard氏と面会し、薬局での障害を持つ人達採用計画について会談した。ホテルフランチャイズであるマリオットインターナショナルによって設立された障害を持つ人達のためのマリオット基金は、いくつかの企業と提携し、障害をもつ高校卒業生に職業訓練と就労の機会を作るために尽力した。
障害者雇用には、小規模の会社もまた力を入れている。ミシガン州の製造業者であるA & F Wood Productsの20人の全従業員のうち、7人は障害者である。この会社は就労環境の再構築、ジョブコーチや特別なソフトウェアの提供、障害者が使用できる電話の導入、就労時間の調整を行い、障害者雇用推進に努めている。
企業は、ビジネス上有益であるために障害者雇用を行っている。経営者達によれば、障害を持っているがゆえ、彼らは計画性に富み、創造的なコミュニケーションを図るという。
Klein氏は、Booz Allenでチームワークやコミュニケーションについて沢山の事を学んだ。しかし、初めのうち、同僚達は彼からコミュニケーションのコツについて学んでいた。彼は同僚達い、ミーティングでは一度に一人ずつ話し、また彼に話しかけるときは、通訳ではなく、彼自身を見るよう求めた。「同僚達は、ほんの少し教えればすぐにわかってくれる。」と彼は言った。
ある会社の障害への取り組み方
How one Company Approaches Disability
P14
雇用、社員研修から、製品開発まで、マイクロソフトコーポレーションは、障害をもつ人々に対する支援、サービスのリーダーである。
テクノロジーは、コミュニケーション、アクセス、仕事、そして教育という分野で新しい世界の門戸を開き、われわれ全員の生活に変化をもたらした。しかし、そんな中でも最も大きな恩恵を受けたのは障害を持つ人々だろう。現在、五千四百万人のアメリカ人がなんらかの障害を持つと言われ、障害を持つ人々、そしてその支援者や家族などはとても魅力的な市場である。マイクロソフトは、このグループを理解し、彼らのニーズを知り、そして彼らに近づく方法を知るため、会社は障害をもつ社員の感性やアイデアを有効活用できると認識している。
あなたがMicrosoft Encartaという百科事典というソフトウェアを使用し、Martin Luther King Jr.のスピーチ「I Have a Dream」を検索すれば、彼の声とともにスピーチを聞くことができる。そして同時に画面の下部には字幕も表示される。これら多くの機能が、Encartaをより使いやすいものにしている。Encartaに字幕を加えるというアイデアは、聴覚障害をもったマイクロソフト社の社員によるものである。そしてこれは、障害を持つ社員が製品開発、マーケティングに貢献したほんの一例に過ぎない。
マイクロソフトは、障害のある人も含めて、能力のある社員を惹きつけ、確保し、そして全ての異なった人々のための製品やサービスを作り出そうと、多面的な戦略を開発した。同社では、毎年開催させるNational Disability Mentoring Dayに参加し、障害を持つ学生に世界中の仕事を紹介しており、障害を持つマイクロソフト社員にも参加を呼びかけている。障害を持つ学生は、興味のある分野で職務を経験し、専門家と話をする機会が少なく、また似たような障害を持つ人々が自分の目標としている分野で活躍しているのを見る機会はさらに少なかった。そのためこの教育プログラムは、障害をもつ学生達のニーズを満たすと同時に、マイクロソフトがこの就職希望者の集団と接触するための重要な機会となっている。
ほとんどの企業と同様、マイクロソフト社もまた、障害者を含めて才能のある人々を惹きつけるための採用プログラムを実行している。しかし、人材を募集する側は、このような学生達へのアプローチの仕方、コミュニケーションの仕方、また面接を行う者が候補者の資格を評価するための準備方法について心配している。マイクロソフトは採用者に、この採用プロセスを円滑にするためのトレーニングを開発した。しかし彼らの取り組みはこれだけでは終わらない。
マイクロソフトの上級ダイバーシティコンサルタントMylene Padolina氏によると、同社では新人の職場環境を充分に整備することを欠かさず行っているという。彼女は、新人が仕事を行うためにどのような設備と便宜が必要かを尋ね、その新人が配属される部署やチームは、この社員の障害の職場でのニーズについて簡単な情報を受け取ることになっている。このように、適切な計画が、新入社員の職場環境への適応を緩和している。Padolina氏は、こういった計画によって、新入社員はすばやく職場で生産的になり、同僚は障害についての質問ばかりに時間を費やすことなく、仕事に専念することができると言う。
便宜には、特別な家具、コンピュータープログラム、また視覚障害者のためのスクリーン音読機、点字表示機等のハードウェアが含まれる。職場のミーティングを快適で生産的にしたり、例えチーム内の小さなミーティングにも全員が確実に参加できるような環境を整備したりするために計画が作成される。例えば視覚障害をもつ新入社員の場合、チームの同僚は、その社員の移動を随時補助できるよう、誘導方法について指導される。聴覚障害を持つ社員がメンバーに加われば、研修はアメリカ手話によって行われる。
マイクロソフトは、障害を持つ人々を採用、雇用するために巧みな方法を開発してきた。しかしそれだけでなく、またそれで全ての問題が解決されるわけではない。15年以上にわたり、マイクロソフトはNational Business and Disability Council(全国ビジネス及び障害評議会)と提携し、Able to Work Consortium(就労可能協会)を結成し、またそれは、Career Opportunities for Student with Disabilities(障害を持つ学生の職業機会協会)のメンバーとして機能している。Padorina氏は、こういった場での交流は、彼女が職場で新しい問題に遭遇したとき、助言するための情報資源となり、また参加者全員が、他のメンバーの体験談からお互い学習することができると言う。
この取り組みによって、マイクロソフトは、アメリカ労働省より、New Freedom Initiative award(新自由政策賞)をはじめ、数々の賞を受賞してきた。その授賞式で、労働省秘書Elaine Chao氏は、マイクロソフト社は障害をもつ求職者に対して驚くべき雇用機会を提供したと話した。またこの賞では、上記のようなたくさんの成果が表彰された。より詳細については、マイクロソフトによる15分のビデオ、「Window of Opportunities(機会への窓)」を以下のリンクより参照してほしい。
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ネイティブアメリカンと障害: モンタナ州AIDTACプログラム
American Indians and Disability: Montana's AIDTAC Program
Julie Clay and Gail Greymorning
P15 - 16
Julie Clay氏はモンタナ大学地方研究所、American Indian Disability Technical Assistance Center−ネイティブアメリカン技術支援センター(AIDTEC)のディレクターで、Gail Greymorning氏は同センターの上級補佐である。教育省の資金援助によってAIDTACは過去五年間、アメリカ系、アラスカ先住民がアメリカ合衆国に住んでいる間の雇用機会と職業リハビリテーションの成果向上のための支援を行ってきた。
アメリカ国勢調査局は、四千四百万人のアメリカ系、アラスカ先住民が存在すると推定している。(この数値は、他の人種との混合も含む)また、その人口は、カリフォルニア、オクラホマ、アリゾナ、アラスカにもっとも集中している。ネイティブアメリカンは250以上の言語を話し、アメリカ合衆国の中に、連邦政府が認識している561の部族による統治機関が存在する。地方や遠隔の村や集落の特別地域に住むものもいれば、特別居留区域や、特別委託地域に住むものもいる。
全国障害評議会は、一般人口に見られる種類の障害は、アメリカ、アラスカ先住民にも見られる。糖尿、アルコール乱用等の障害については、このネイティブアメリカンのグループの中にではより顕著に見られ、そのために全体的な障害者の比率は高くっている。ネイティブアメリカンの労働者人口(16歳−64歳)では障害者の占める割合が27%に及ぶが、比べて一般労働者人口における同割合は18%である。また、65歳以上の人口においての障害者の占める割合は、ネイティブアメリカン、一般それぞれ57.6%、41%である。
ネイティブアメリカン文化での障害
Disability in Native American Culture
ほとんどの少数部族言語の中にハンディキャップや障害という言葉がないことを考えると、障害の概念というのも新しい意味合いを帯びてくる。障害は、西洋文化で特になじみのある考え方だが、アメリカ先住民文化では全く同じものではない。アメリカ先住民の概念でそれに最も近いものでは、障害を、身体的特徴としてではなく、精神の不調和として捉えている。(加えて、文化や伝統的な考え方は部族によって大きく異なり、それぞれに特有の創造説、宗教の教義、神聖なタブーが存在する。)
Omaha部族のメンバー、Julie Clay氏は、障害を持ち、AIDTACのディレクターである。彼女は、「病気の概念は肉体、頭脳、精神における不調和だと考えられている。もしもその中のどれかが不調になると、その人全体に支障をきたす。だが単に身体的、知的な障害があるということが、必ずしも不調和や病気の状態とは限らない。しかし、その人の環境、またはある出来事に対しての反応の中に不調和がある場合、その人は病気の状態にあると考えられている。」と説明する。
実際、たくさんのアメリカ先住民はアメリカでの主流文化に溶け込んでいったが、いまだにたくさんの先住民達が旧来の伝統的な生活様式を存続している。この、「二つの世界に住む」ことは大変問題で、障害と付き合っていくことはさらに「三つ目の世界」となっている。
部族コミュニティーの理解
Understanding Tribal Communities
全国障害評議会は、「部族の特別区域での障害をもつ人々のニーズを満たすことは、様々なアメリカ、アラスカ先住民の文化、歴史、またその部族コミュニティーの独特な法的環境、社会経済環境への理解を必要とする」と認識している。部族の首長や障害をもつメンバー達と話し合うことは、彼らのもつ文化の深さ、複雑さ、またネイティブアメリカンコミュニティーでの障害についての考え方を理解する上で不可欠である。
Julie Clayは特別居留区域のなかで生活する人々に課される経済的、法的、政治的、歴史的また文化的制約が生活を混乱させている。この区域の中で生活する人々の大半にとって、情報資源や機会は希少である。貧しい生活状況と特別区域に時として見られる障壁によって、個人の生活目標を満たすための機会というのはほとんどない。
過去5年間、AIDTACは全国技術支援センターとしての役割を果たしてきた。彼らのサービスに恩恵を受けてきたグループは、障害をもつアメリカ、アラスカ先住民、その家族、部族の統治機関、部族と州の職業リハビリテーション機関、雇用者や雇用者の代理、都市部のネイティブアメリカンセンター、その他である。地方研究所のほかのプログラムと協働で、AIDTACは雇用、交通、健康、自立生活、また教育問題に取り組んでいる。社会保障管理局や、教育省リハビリテーションサービス管理局の資金援助で、AIDTACは障害をもつネイティブアメリカンの雇用機会や職業リハビリテーションの成果を改善するためのトレーニングや技術的支援を提供している。
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